ハナモゲラボ / 試行錯誤の実験人生

日々、PCや各種デバイス、楽器等に翻弄されながら電脳の森をさまよう男の日常と様々な実験をさらりと記しております。

今も続く悪しき精神論 ― NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」を見て

August 27 2017

なぜかこの番組だけ録画しそこねていて再放送をようやく見れました。
きっと放送時間がずれてたせいだとは思うんですが不思議だ。

この時期のNHKスペシャルはやはり戦時中の出来事の特集が多くて、
毎年これらを見るのにそれなりに時間がかかってしまいます。

今回はあの太平洋戦争の中でも最も無謀な作戦だったと言われる「インパール作戦」の特集でした。
NHKは過去、1993年に「ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」を放送しており(番組はアーカイブとしてこちらで無料で見れます)それ以来の大規模な特集だと思います。

今年のNHKスペシャルはビッグデータを地図上に反映させる事を主軸に置いているようで、広島原爆の番組に続いて今回も約30000人と言われた半数の15000人分の死者の死亡箇所を地図に反映させていました。

これを見てもわかるように作戦中の死者よりも作戦中止以降、撤退中の死者が多い事がわかります。
そもそも補給・兵站という部分を軽視して3週間という無謀な作戦計画から始まったこの作戦ですが、今回の特集は当時この作戦に参加していた生存者の方のインタビューを数人登場させていたのが印象的でした。

中でも司令官だった牟田口廉也中将のお孫さんが出演していたのに驚きました。
戦後も生き残って戦争犯罪人としての追求もされず、晩年は自己弁護に徹したという人物の家に生まれた、というだけで相当色々な事があったと思いますが・・・

番組は中将付だった斉藤博圀さんの日誌に書かれたコメントを挟みながら続いていきますが、最後に斉藤博圀さんが現在も生存しており、本人のコメントを収録して終わります。

牟田口中将が語ったコメントとして以下が伝えられています。

インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」。訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた

「気合いでなんとかなる」とか「ハングリー精神」という言葉は今でもよく聞きます。
自分はこういう無駄な精神論がとても嫌いなのは、こういう戦史ものをずっと読んできたからかもしれません。
現状を分析して出来ない事は出来ないと判断する事が悪という世の中にはなってほしくないですが、こういう精神論って未だにあちこちに根付いたままだなあ、と思うんですわね。
インパール作戦そのままの様子で経営している企業とかそれこそ無数にあるんじゃないでしょうか。

歴史から何を学ぶのか、というのは人それぞれですが失敗を失敗と認める潔さ、
そしてそれに関わってしまった時にいかに聡明な判断を下せるかという事に尽きますね。

旧日本軍の作戦から失敗のなんたるか、を知るには「失敗の本質」という本が面白いです。

 

三日間のプチサバイバル ― 佐木島3Days

August 24 2017

今年の夏休み、始まった瞬間に僕以外全員、広島県三原市佐木島に移動。
で、迎えに行く名目でラスト3日間だけ合流しました。
元々は妻の実家が過去に使っていた小さな別荘が宿泊場所。
もちろん、くみ取り式便所、そしてガスは今は使用できずエアコンもなし。
いわばちょっとしたサバイバルですかね。

フェリーに乗り込んで佐木島へ。

別荘の外観。

内部。

この溢れる「山岳ベース」感。
なんとなく連合赤軍が集団で合宿してそうなそんな雰囲気があったりします(笑)
かろうじて電気は通っていて冷蔵庫も使える。テレビはなくラジオのみ。
カセットコンロは前もって持ち込んでおいた。
電気ポットもあるのでそれを使い、風呂釜に熱湯を貯めておいて身体は洗える。
auのLTEはアンテナ4本バリバリ。しかしなぜかテザリングは遅くて使い物にならず。

人口700人弱、信号機は一つもなく、コンビニなんてもってのほか。
トライアスロン大会が行われる小さな瀬戸内海の島。
架橋の要望はあるもののまだそれに至っていない1周約12kmの島。

この島で一番綺麗な砂浜のある大野浦海水浴場。3日間、ここで泳ぎまくりました。

滞在中には小学校の見学、そして貸家の内覧などさまざまな事もこなしました。

そして娘と2人で見る日の出。

その翌日、噂を聞いた息子も「連れて行け」という事で・・

夏場ならガスがなくてもどうにかなる、という事がよくわかりました(笑)
しかし、ここに住むとなると色々覚悟が必要になるなと思いましたし、
自分にとっては仕事の面も含め、まだすぐには決断出来そうにありません。
保育園も数年前にはなくなってしまって今はありませんしね。

あとは虫に慣れてしまえれば問題ないかな。
アブがすげえんすよアブ。
あいつら車を牛かなんかと間違えて吸血しようと集団で体当たりしてくるからこええ。
(排気ガスと車の熱に反応している、とか。)

なんにせよ楽しい三日間でした。
チビらはまるまる1ヶ月もいたので、完全に野生化してましたね。
とてもいい想い出になったと思います。

ビリー・ジョエルのバンドサウンド再び ― The Lords of 52nd Street

August 18 2017

洋楽聴き始めた1980年頃、ちょうどビリー・ジョエルは「ガラスのニューヨーク」がヒットしてました。
確かコマーシャルにも使用されていたかな。
アルバムで言うと「グラス・ハウス」ですね。

そこからアルバム「イノセント・マン」まではリアルタイムで聞いてました。
まだギターを始める前だったので純粋なリスナーとしてファンだったわけです。

で、大人になってやっぱりバンドマンの聞き方というかサウンドに耳が行くようになるのですが、ビリー・ジョエルバンドのドラマー、リバティ・デヴィートさんの全開で叩きまくる感じが好みだと気付くわけです。
バラードでもなんでも常に全開。しかし、それが異様にマッチする。
というか、その音じゃないとダメという感じ。

あの名バラード「オネスティ」のリバティ・デヴィートさんの解釈はこちら。

2コーラス目の入り方からもうすでに全開。
しかし、全体を通して聞くとちゃんと抑揚がついてるんですよねえ。

最後の来日の時に大阪ドームに見に行ったんですがなんとなく物足りなかったのは
ビリー・ジョエル本人のキーが下がってたりもあったんですが
思い返すとドラマーがこのリバティさんじゃなかったからなのかもしれません。

「ザ・ブリッジ」まではバンドメンバーとがっちりとレコーディングもツアーもしていたビリーさんですが、それ以降はバンドのメンバーを入れ替えるようになり、最後まで残ったリバティさんとも結局お金で揉めて別れてしまったようです。
ベースのダグ・ステッグマイヤーさんは解雇された数年後に拳銃自殺してるそうです・・

そんなこんなで散々な想いをしたはずなのですが時間は全てを解決するのでしょうか。
2015年あたりからこのビリー・ジョエル・バンドのリバティさん(ドラム)、ラッセル・ジェイヴァース(ギター)、リッチー・カナータ(サックス)が中心となって、The Lords of 52nd Streetというビリー・ジョエルのカバーバンドとして活動している事を知りました。
公式サイトはこちら。

ビリー・ジョエル役のデヴィッド・クラークのそっくり具合も怖いぐらいなのですが
なんといってもこの「さよならハリウッド」のイントロのスネアのフラム!

そして「Angry Young Man」のヤケクソ気味のこの叩き方。

これだよこれこれ。リバティさんはこうじゃないと(笑)

向こうでは頻繁にライブをやっているようで、今は活動を中止してしまったビリー本人よりもアクティヴに活動している模様。

バンドマンとしては・・・・ビリー本人よりもこっちが見たいと思ってしまいます(笑)
せまい会場でリバティさんのバッシバシのスネアを肌で感じてみたいですなw

年を取ってからも全開で演奏するそのお姿、いやあ素晴らしいです。

YoutubeにはこのThe Lords of 52nd Streetの動画がたくさんアップされてるのでぜひ。

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